三瓶小豆原埋没林公園にて
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昨日は「こむしこむさ」のメンバーと三瓶小豆原埋没林公園Link で打ち合わせ。
大田市の観光地といえば、石見銀山遺跡や国立公園三瓶山、温泉津温泉など非常に観光資源に恵まれた地域である。
そして、それぞれの観光地のルーツを辿ると、地形学的にも世界中で極めて希な地域である事に気づかされる。
そこで、縄文時代の大径木が眠る三瓶小豆原埋没林公園周辺で、新たな企画を立ち上げようではないかと、場所の下見と三瓶周辺地質学の権威である中村氏Link に展示棟を案内していただきました。
そして場所を移して、大田市周辺の地質学や国引き神話についてお話ししていただきました。
埋没林について
以下、HPから抜粋。
三瓶小豆原埋没林の形成には、三瓶火山の活動が関係しています。三瓶火山は、約10万年前から活動してきた火山で、7~8回の活動期が知られています。3500~3700年前の活動の時、山ろくへ流れ下った噴出物(火山灰、火山レキ)が巨木の林を立ったままで埋積しました。
噴出物は土石流や火砕流として流れ下り、巨木でさえもなぎ倒すほどの強烈なエネルギーを持っていましたが、小豆原の木々は地形的な偶然によって倒されずに残りました。
三瓶小豆原埋没林を埋めている地層は、上から順に「火山灰が水で運ばれて静かに堆積した層」、「火砕流の層」、「土石流の層」にわかれています。
土石流の層は、山体が大きく崩れたことによって発生した「岩屑なだれ」の末端で、岩屑なだれの本体が小豆原川の下流をせき止めたことが、埋没林を深く埋めた大きな原因でした。
谷の下流がせき止められ、ダム状態になったところに周辺から水が流れ込み、水で運ばれた火山灰が厚く堆積したのです。
埋没樹のうち、火砕流におおわれた部分は樹皮の表面が焦げていますが、深部までは炭化していません。おそらく、火砕流の堆積直後に水が流れ込み、温度が一気に低下したと思われます。
三瓶小豆原埋没林では、立木、倒木ともにスギが過半数をしめ、特に直径1mを超える大径木はほとんどがスギでした。スギ以外ではトチノキ、ケヤキ、カシのなかまなどがありました。
埋没林の樹種構成から、縄文時代の三瓶山北麓の谷筋には純林に近いスギ林が広がり、その間にトチノキなどの広葉樹がわずかに生えていたことがわかります。
なお、現在、中国地方では小豆原付近の高さ(標高200m)にはスギの自生林は残っていません。