竹下木材

THE IWAMI GINZAN AND FOREST

石見銀山と森

世界遺産 石見銀山

石見銀山遺跡がもつ顕著な普遍的価値

江戸時代の街並みが残る大森町

竹下木材が位置する島根県大田市内には、2007年に世界遺産に登録された石見銀山があります。銀山としての、世界に与えた影響の大きさや歴史の深さと共に、江戸時代からの街並みや暮らしが奇跡的に残されていたことが、高く評価されました。重要伝統的建造物群保存地区でもある山間の集落・大森町は、昭和初期からの研究や住民による長年の保全活動の結果、江戸時代のまま残された貴重な街並みです。近年では観光客の姿や移住者も多くあり、豊かな暮らしのある日本が誇る地域の一つです。
この石見銀山の街の伝統的な建築物にも、地松は多く使われており、この街並みの保全やまちづくりのためにも、竹下木材として数多くの地松を納材しています。お近くにお越しの際は、ぜひご覧になっていただきたい風景です。

世界的に重要な経済・文化交流を生み出した

16世紀、石見銀山では、東アジアの伝統的な精錬技術である灰吹法(はいふきほう)を取り入れることによって銀の現地生産を軌道に乗せ、良質な銀を大量に生産しました。石見銀山で用いられた技術や生産方式は、この後国内の多くの鉱人に伝わり。日本史上まれな銀生産の隆盛をもたらしました。こうして日本で生産された大量の銀は、貿易を通じて16世紀から17世紀の東アジアへ流通しました。そして、この頃金銀や香辛料を求めて自らの文明圏を越えて世界に活動範囲を拡げつつあったヨーロッパ人が東アジアの貿易に参入し、東西の異なる経済・文化交流が行われるようになりました。

伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残す

石見銀山では、採掘から精錬までの作業が、すべて人力・手作業で行われました。このような作業を行う製錬工房が銀山現地に多数集まることによって、高品質の銀を大量に生産することができました。このことを証明する600カ所以上もの露頭掘り跡や坑道跡が今でも銀山山中に残っており、また、これらに隣接して、かつて製錬工房と生活の場であった平坦地が約1,000カ所以上も残っています。
江戸時代の石見銀山では従来の伝統的技術によって銀生産が続けられました。しかし、明治維新を迎えた19世紀後半以後になって、ヨーロッパの産業革命で発展を遂げた新技術が導入されましたが、銀鉱石が枯渇したため鉱山活動が停止していきました。その結果、今日、石見銀山遺跡には鉱山開発の伝統的技術の跡が良好に残されました。

銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示す

石見銀山遺跡には、採掘から精錬まで行われた鉱山跡を中心に、これを外敵から守った城跡が周囲の山々にあり、銀鉱石や銀、銀山で必要とされた物資を輸送した二本の街道が銀山から港までつながっています。さらに、かつて銀山の操業によって栄えた鉱山町や港町は、今日でも地域住民の生活の場となっています。このように、石見銀山遺跡は、銀の生産から搬出に至る鉱山運営の全体像を不足なく明確に示しています。
また、石見銀山遺跡とその周辺では、かつて製錬に必要とされた膨大な木材燃料の供給が、森林資源の適切な管理の下に行われたことにより、今日でも豊かな山林を残しています。このように鉱山に関係する遺跡と豊かな自然環境が一体となって文化的景観を形成する例は、世界的に極めて貴重です。

石見銀山の街並み
石見銀山の歴史

鎌倉 1309 (延慶 2年)

初めて石見銀山が発見されたという

室町・戦国 1526 (大永 6年)

博多の商人・神屋寿禎、石見銀山を発見する

1531 (享禄 4年)

川本を本拠とする小笠原氏が銀山領有

1533 (天文 2年)

わが国ではじめて灰吹法による銀精錬が石見銀山で開始される大内氏銀山を奪回

1556~1562 (弘治 2年~永禄 5年)

毛利氏と尼子氏が互いに銀山の争奪戦を展開し、やがて毛利氏が支配する

1568 (永禄11年)

ドラード地図(ポルトガル)に「銀鉱山王国」の記載がある

1585 (天正13年)

毛利氏と豊臣氏が共同管理する

安土桃山 1600 (慶長 5年)

大久保長安初代奉行となる

1602 (慶長 7年)

年産4千貫=15トンの銀を産出する

江戸 1603 (慶長 8年)

安原備中、年3600貫の運上を納め、家康に謁見

1624 (寛永元年)

銀山全体の銀産出量が減少しはじめる(年間1200貫=4.5トン)

1673~1682 (延宝元年~天和 2年)

銀産出量がさらに減少する(10年間の平均産出高261貫=980キロ)

1675 (延宝 3年)

石見銀山領は代官統治に格下げ

1731 (享保16年)

井戸平左衛門代官着任

1733 (享保18年)

さつまいも植え付け奨励。井戸平左衛門没

1800 (寛政12年)

大森大火。大半が焼失

明治 1869 (明治 2年)

大森県が置かれる(8月から明治3年1月まで)

1887 (明治20年)

大坂・藤田組による経営開始

1895 (明治28年)

清水谷製錬所完成

大正 1923 (大正12年)

経営不振で休山となる

昭和 1942~1943 (昭和17年~昭和18年)

銅採掘を試みるが水害、閉鎖

1957 (昭和32年)

大森町文化財保存会の発足(全戸加入)

1987年(昭和62年)

大森、銀山の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定

2001年(平成13年)

世界遺産暫定リストに登載

2007年(平成19年)

世界遺産委員会において世界遺産に登録される



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